英語はとりあえず感覚で話してもそれほどひどく間違えない

この記事は2017年12月18日に公開されました。 情報が古い可能性があります。

こんにちは、殿内(@tonoccho)です

これはあくまで経験則ですが、日本人、韓国人などは、英語について「何かしらの正解はあってしかるべき」と思う人が多い気がします。

「xxっていう時英語ならなんて言うの?」とか、「その前置詞、onじゃなくてinじゃないの?」とかですね。

前者は、何かを言いたい時の表現は何かしらの正解文があることを期待しているし、後者は前置詞を間違うと意味が変わってしまうのではと言う不安があるのでは、と言うお話です。

まず理解したいことは、英語という言語は柔軟ではあるもののそこまで脆弱ではない、という点です。多少間違ってもそんなに大きく意味は変わりませんし、同じことでも色々な言い方があります。というより、通じてるなら間違いじゃありません。

例えば、fromとtoを間違えれば方向は逆になりますが、at、in、onなんかは受ける印象が違うだけでそんなにおかしくならないんじゃないかと思います。そう考えるといくつかの重要な用法以外はべつに割とどうでもいいのではと思えてきます。

今回は実際にネイティブから聞いた話をいくつか書いてみることで、「英語の正解を求める」ということがあまり意味をなさないことを書いてみたいと思います。

【事例1】with, to, atは感覚で使い分けていた

英会話学校でカナダ人の先生から聞いたエピソードですが、彼が何か悪さをしてお父さんから叱られた時

"I'm not talking with you. I'm not talking to you. I'm talking at you!"

と怒鳴られたそうです。

これから感じることは、「今してるのは会話でもなければ何かしら教えてるわけでもなく、お前に対して怒りの感情を見せているんだ!だまれ!何も話さないで父の話を聞け!」というようなものです。感情で使う前置詞が変わった一例ですね。

【事例2】冠詞の採用基準

南アフリカ出身のオーストラリア人と「冠詞の使い方難しいんだよね」という話をした時に、「何が難しいんだ?大事ならthe、そうでないならa/anだよ?」と言われました。

つまり冠詞の選択基準は、自分にとって大事かそうでないか、でしかなかったのです。もちろん言葉としてのルール、楽器はthe、山脈もthe、とかありますが、「これならこう」という理屈よりは「大事かどうか」でしかないということでした。

ということは、間違えたところで相手が感じるのも「この人にとってそれが大事かどうか」ということでしかないようです。

逆にいうと、I play a violin. といった時に相手は「こいつ間違ってんぞ」ではなく「こいつバイオリンを弾けるけどぶっちゃけどうでもいいと思ってるんだな」ということになります。

このくらいなら後でいくらでもどうにかできますね。

【事例3】I am?

誰もが愛してやまないスターウォーズという映画に出てきたある宇宙人は"I am" ではなく、"Me is" といっていました。どういうニュアンスでこう言わせたかはわかりませんが、ハリウッド大作ムービーでこれを言わせてるのだから、ネイティブからすると何いってるかわかるということだったのでしょう。

ですが学校の試験でこれを書いたらどうなるでしょう?

"I am a boy" はいいけど、"Me is a boy"はダメ(たとえハリウッド映画でそんな言い方するキャラが出てても)とされてたと思います。でも実運用上は良いようです。

そもそも母国語をそこまで気を使って使っているか

母国語はネイティブとして話しているので「間違えた母国語を話している」などと思う人はそうそういないでしょうが、「文法」という観点から見るとおかしな日本語は日常的に使っていると思います。

一時期ら抜き言葉とか、全然の用法が議論を起こしたことがありますが今その辺うるさくいう人も見かけなくなりました。チョベリバとかホワイトキックとかMK5とかどこいったんでしょうね。

次に、外国人がおかしな日本語を話している時も、多少のことはこちらで汲み取って理解しますし、明らかにおかしいと確認すると思います(どうでもいいならそのまま流すと思います)。

たとえばマルシアが自分のことに「らっしゃる」をつけるのも、結局ギャグとして成立しました。

とはいえ、文法ガン無視というよりは、重要度の低い文法は省いたり簡略化してる、ということなのではと個人的には思います。

結局これと同じだと思います。

文法どうでもいいということではない

ここまで書きましたが、文法なんかどうでもいいと言うのではなく、文法を気にしすぎて話せなくなるなら、とりあえず細かいことは気にせず話すようにしましょう、と言うことなんです。

それによって得られる相手の反応から学べることは一時間の座学にもまさるという事です。また、自分が自然に英語を話せるようになる練習にもなります。

同時に、英語において(言葉において)これが正解、と言うのもないということです。文法的に美しい英語は次のステップとしておけば良いと思います。

まとめ

多少間違ってもべつに意味が大きく変わらないならとりあえずべつに良いんじゃないの、試験じゃないんだから、ということでした。

こんなツイッターでもかけることをわざわざエントリーにするあたりがアレですね。

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